おばさんにはなれません。

30代,もう若者じゃないけどおばさんにもなりきれない人が日々考えていること

ユーリとボーイズラブと私

昨年11月ぐらいから、ユーリ!!! on iceというアニメの沼にどっぷりと浸かってしまっている。

アニメイトに通うのも、アニメ雑誌を買い集めるのも、二次創作物を愛でるのも、某所で鼻息荒く薄い本を物色するのも15年ぶりだ。

 

私はオタクかオタクじゃないかと言われればどう考えてもオタク寄りの人間だし、多感な10代という時代の5分の4ほどは2次元(および2.5次元)に捧げてきた。

当時ファッションに費やすお金はなく(そして特段の興味も持てず)、もし臨時収入があったとしても迷わず漫画やアニメ雑誌、ビジュアル系バンドのライブ、はたまた宝塚のチケットを消費していた。

恥を忍んでここに記すが、ぶっちゃけ高校を卒業するまで、母親が選んで買ってきて、朝洗面所に置いてくれている服をそのまま着ていたほどだった。*1

 

ずっと共学だったが、そんな感じで心身ともにモッサリとしていたせいで、彼氏なんてできるはずもなく、例えば私が誰かに告ったところでこんなキモブスに告られたなんてその人の黒歴史にしかならないだろうと思っていた。そんな自分が嫌いだった。

私たち暗黒乙女の性的好奇心を満たすものは、ボーイズラブ(以下BL)であった。

男子の間ではエロ本やらAVの貸し借りが行われているという専らの噂だが、女子、の一部ではBL本の貸し借りが秘密裏に行われている。

なぜレディコミではなくBLなのか。

それは、自分が少女漫画およびレディコミの主人公になれるようなカーストではないと重々承知しているからである。

漫画の中のイケメンは自分のようなモサい女を好きになるはずがない、むしろ好きになったら幻滅する、だからといって別の可愛い女と恋に落ちたところで真顔になって「あ、そうですよね」ってなるだけだ。

一方のBLであれば、美しい男たちが紙面の中であっはんうっふんしてるのを神の視点から「美しい...」と愛でれば良いだけであり、自分が彼らの関係性からはじき出されている気楽さがあるのだ。

 

で、御多分に洩れず私もBLを嗜んでいたわけだが、当時ガチで中学の保健体育以上の知識がなかった私は、BL漫画(市販のものも同人誌も読んでた)で男たちが汗をかいたり泣いたりしながら何かやっているぞ、一体何をどうしているんだろう?

っていうかこの物体とかこの液体は何?という感じだった。

でも何かやらしいということだけは分かった。

とにかくこの2次元の男たちが汗をかいたり泣いたり頬を赤らめたりヨダレを垂らしたりしながらやっていることが、とても良いことのように思われた。

 

そんなこんなでブチ上がってしまったその行為への期待が「あ、こんな感じなのか...」と打ち砕かれたのは数年後のことだ。

何とか自分を変えようと思って、過去の自分を知る人がほとんどいない大学に入ってから「何が何でも脱ヲタをキメて彼氏を作ろう」という気概を燃やし、ファッションや化粧を勉強したりして見た目の脱ヲタを図った。

最初はさぞ素っ頓狂な感じだっただろうが、トライ&エラーを重ね、何とか「キモヲタ」から「ちょっと野暮ったいぐらいの一般人」ぐらいまでレベルを上げることができた(と思う)。

そのおかげなのか、晴れて彼氏ができて、行為に及ぶことができた。

自分が一部の酔狂な男子から欲情される対象であったという事実を発見したときは嬉しかった。

しかし何だか様子がおかしい。

漫画ほど汗はかかないし、涙も出ないし、ヨダレも垂れないし、意識も飛ばないし、言葉攻めもネクタイで手首縛るとかもないし、最初のうちは余裕でリードしてたけど受のかわいい反応を見て理性がプツッとして急に激しく攻めはじめるスーパー攻様もいないし、思ってたんと違うぞ!!!

あと、漫画の中では攻と受の関係は唯一無二であり、どんなにすれ違っても喧嘩しても、おセッセすれば ハイ仲直り!みたいだったじゃん!(むしろ喧嘩すら燃え上がるためのスパイスだったじゃん!)

なのに、なんか奴ら(少ない歴代彼氏)平気でひどいこと言ったり裏切ったりするじゃん?スーパー攻様でもないのに!言葉攻めも満足にできないくせに!

なんかもう、疲れちゃったなあ...自分とリアルな男が恋愛するとか、もういいや...

 

って思ってたところにですよ?

真正面から男同士の「愛」をテーマに掲げる素晴らしいアニメが目に飛び込んできたわけですよ。

ユーリ!!! on iceが。

男同士の愛といっても、アニメの中で描かれるのは、主人公勇利とコーチのヴィクトルとの(表向きは)師弟愛。

表向きはと書いたのは、通常「師弟愛」という言葉から想起されるような愛情をはるかに飛び越え、華麗に4回転フリップをキメるがごとき描写がされているからである。

なので、作り手の意図から離れたところで男×男の恋愛模様を妄想する腐女子の手にかからずとも、「えっ、この2人...?どういう関係?どこまでいってるの...?」とドキドキできる仕組みになっている。

この関係が尊いのである。

真実の愛とか永遠の愛とかをイマイチ信じる気にならないが、2次元の男同士を通してなら信じることができるような気がする。

なぜだろう。

やっぱり、残念だけど自分には関係がないところに存在する(かもしれない)ものだと思っているのかもしれない。

 

せっかくユーリの話をするのに、もっと綺麗なこと書きたかったんだけど...

ちょっと2次創作(ヴィク勇18禁)を読みすぎているせいかもしれません。

*1:母は娘の私から見てもセンスが良くおしゃれだが、なぜか思春期の私に着せていた服はダサかった...というか、今思えば勝手に買ってくるからサイズ感めちゃくちゃだし、実際私は小柄な方なのにLサイズを着せられていた気がする。母は、私を「女」にするのをどこかで拒んでいたようなフシがあった。これについてはまた別の機会に。