BL二次創作に関する疑問
※このエントリは特定の作品や人、価値観を批判するものではありません。
個人的に最近疑問に思っていること。
一次創作だろうと二次創作だろうと、読む(見る)ときにはどうしたって読み手(この場合私)の価値観のなかでその作品を鑑賞することになると思うんだけど、
これ「作品は作品」「価値観は価値観」って感じで切り分けられる人もいるのかな?という疑問。
つまり、その作品が自分の中の価値観や道徳に反しているような描写があって、しかもそのことが作品の中で特に問題視されない場合、モヤっとしてしまう。
作り手が意識的にそういう描写を混ぜてるならまだしも、無意識だったときは尚更だ。
例えばBL作品なのにゲイに対する差別的な描写が(意図的でなく、つまり作り手の価値観がにじみ出るような仕方で)あったり、男女のジェンダー規範が固定化されてるような前提で物語が進んだり、女性が蔑ろにされる描写があったり(だったら出さないでほしい)すると、とても萎える。
とお利口ぶってみたものの、自分の中で解決しない問題がある。
それは二次創作における推しキャラ雌化問題である(いま適当に名付けた)。
仮に私がある作品のAというキャラが好きだとする。そしてBというキャラと(腐女子の脳内で)カップルになっているものとする。
私のこれまでの嗜好としては推しキャラは攻めにしがちなので、この場合のカップリングはA×Bである(以下ABとする)。
ABの二次創作を嗜むのは、ひたすらかっこいいA様を愛でればいいので、まあ概ね平和である。
問題はB×A(BA)の二次創作を目にしたときである。これには楽しめるものと楽しめないものがある。
これまでの傾向によると、推しキャラAが過度に雌っぽく(女っぽく)描かれているものには拒否感を覚えるのだ。いくら受けでも、突っ込まれてアンアン言っててもちゃんと雄であってくれよ、っていう。
そんなわけなので、もちろん女体化とかもNGだし、男同士の妊娠出産ネタも地雷である。でも、同時にこの主張の危うさには一応気づいてはいる。
「せっかく男なのに」ってどういうことだ。
もちろん、原作のキャラが好きになったからこそ二次創作を楽しんでいるのであり、その原作のキャラ設定から大きく外れてしまったや解釈違いのものを見ると「うーん...」と渋い顔になってしまうということはある(でも原作から外れてても好きなものもある)。
でも、結局のところ「せっかくかっこいい男なのに、女みたいにならないでほしい」って思ってる心がゼロだとはとても言えない。
第二に、男同士のカップルに過度に夢を見すぎているという問題がある。
せっかく男×男なのに、夢の世界なのに、現実世界で私を苦しめているめんどくせーネタ(男女カップルを思わせる関係、対等じゃなさ、女体、妊娠)突っ込んでくるなよ!っていうことだ。
これはホモソーシャルへの憧れというよりは、自分の女性性(セックスじゃなくてジェンダーとしての)への嫌悪に近いかも。そういう意味ではこれもミソジニーの延長とも言えるけど、女全体への嫌悪というよりも、「自分」に課せられたジェンダーへの嫌悪だ。
私がBLを読むのは、現実世界の私が結婚だ出産だというあれこれにウンザリしていることと無関係ではない。
正直なところ、私がBLが好きな理由のひとつとして、作品内でどんなに二人が愛し合っていても、日本では結婚もできないし、もちろん妊娠出産もできない、それでも二人の愛(と意思)のみに従ってずっと一緒にいる、という関係性が大変ツボだから、というのがある。
しかし、世の中に実在する同性カップルにとっては同性同士の関係性はリアルそのものであるので、結婚や出産ができない制度や体のしくみに悩まれているカップルも多いのだろう。
だからあんまり大声で言うのは憚られるのだが。
そしてそれと相反するようだが、やはりどう足掻いても私は女性であるので、女性の描きかたがひどい作品にもモヤっとポイントが貯まるしくみになっている。
だから、BL二次創作の書き手たちが受けキャラ雌化、女体化、妊娠ネタとかを描く心理がイマイチよく分からない。
なぜ推しキャラを雌化させるのだろう?
推しキャラをかわいくして、ひたすら愛でたいとかなのかな。
そういう方はミソジニーを抱えていないのかな。
じゃあBLである必要はなさそうなのに、なんでBLが好きなのかな。
自分のジェンダーと、萌えとは切り離せるタイプの人なのかな。
繰り返すが、これは批判ではなく単に分からないから気になるだけである。
以上、浴びるように某アニメの二次創作を貪っている腐女子が最近気になっていることでした。
特にオチはない。