おばさんにはなれません。

30代,もう若者じゃないけどおばさんにもなりきれない人が日々考えていること

子どもを産みたくない話

新年一発目から重めの話かよ。

でもこのことを一番書きたくてブログを始めた気がするので、少しだけ書いてみたいと思います。

正月ということで親戚が集まったり、子どもの写真入りの年賀状をもらったりして、このことを考える機会が一年で一番多い気がするので。

 

私は子どもを積極的に持ちたいと思ったことは一度もない。

小さい頃から「大人になったら結婚して子どもを産むものだ、それが普通だ」という漠然とした社会の雰囲気は感じてたけど、その当事者になるという実感も願望もなかった。

あと大変勝手な話だけど、子どもの頃から自分より年下の子どもが嫌いだった。

自分よりも小さい子どもがいると、私の世界を邪魔されるような気がして鬱陶しかった。

だって奴ら、私が大切にしてた絵本とか積み木をヨダレでベタベタにするし、こちらの完全なる好意で塗り絵をあげてもクレヨンでめちゃくちゃに殴り書きするし(挙句にそんなめちゃくちゃなものを大人に褒められてるし)、そのことについて大人に怒りながら訴えても「◯◯ちゃんはまだ小さいんだし、許してあげなさい」とか言われるんだよ??

いや、許せねーから!!!

自分は第一子で、3歳下の弟がいたので、そんなことが日常茶飯事だった。

よく「一番上の子は面倒見がいい」と言われるが、私は弟が邪魔で仕方がなく、力で勝てなくなるまでずっと弟のことをいじめていた最低な姉だったと思う。

 

まあそうは言っても、こちらも年齢だけは大人になっていくので、おおっぴらにそういうことを言わない方が良さそうだということは学習していく。

とはいえ、赤ちゃんや幼児を見ても「かわいー❤️」とは思えないままだったし、自分が産むという当事者意識も持てないまま、時が来れば(具体的には25歳ぐらいになれば)母性本能というものが湧いてきて、「産みたーい❤️」とか思うようになるのだろうと思っていた。

 

この「いつかその時が来るのかも」という漠然とした思いが「いや、産みたくないわ」に変わった瞬間を覚えている。

確か私が22〜3歳の頃だ。

近くの図書館で本を物色していたときのこと。

この図書館は、入って左に一般向けの書棚、右に子ども向けの書棚がある配置だった。

その一般向け書棚の方に、子どもが迷い込んで、お母さんを探して泣き喚いてるのを見た。

最初は正直「うるせーな、親は何をやってるんだ。目離すなよ」と思った。

でも次の瞬間、

「え、親になったら、一秒も子どもから目を離せないの?本もゆっくり探せないの?」

って思って血の気が引いた。

私が子どもの頃から当たり前のようにやっていた、図書館で本を探し、一人で静かに読むという行為が、母親になったらできなくなるのか!?

 

そう思った瞬間、これまで見えていた世界が一変した。

一人でカフェに入ることも、旅行に行くことも、フラッと飲みに行くことも、つまり今まで自分が何気なくやっていることが、思うようにできなくなるのでは...?

せっかく自分の時間とお金を少し作ることができるようになって、人生これからというときに、なぜこの自由を手放さなければならないのか。

子どもが小さい時だけの我慢だと言われるかもしれないが、だって5年経ったところで奴らまだ5歳だからね?10年経ってもまだ10歳だよ?

 

自分がその当事者になる可能性について、具体的に考えていなかった浅はかさと想像力の欠如を恥じた。

また、世の中の「母親」という役を担っている人たちが感じている重圧を想像して、尊敬するとともに、とても怖くなった。

あ、私無理、産めない。と思った。

 

そう思った途端、ものすごい罪悪感と劣等感に襲われた。

女なのに子どもを産みたくない自分。

大人なのに子どもを可愛がれない自分。

人間も生物の一種であり、生物の存在目的が子孫を残すことにあるのならば、子孫を残したいと思わない自分は失敗作なのではないか。

 

今ならこれらは「呪い」(まさに去年、逃げ恥で話題になった「呪い」そのものだよね...)であり、別に誰であろうと子どもを持っても持たなくてもその人の価値に何ら影響を及ぼすことではないと思えるけれども、当時の私はこの「呪い」から逃げることができなかった。

で何をしたかというと、自分のスタンスが間違ってないことを証明するために、理論武装をした。

フェミニズムを勉強してみたり、子育ての体験談を読んで「あー絶対無理」っていう思いを強くして、子どもを欲しいと思わないことを正当化してみたりした。

そうでもしないと、社会からかけられる「呪い」が強力すぎて「立ってられないから...!」(©何者)という感じだった。

 

でもそうすればするほど、自分が頑なになって、辛くなる一方だった。

劣等感のあまり、子どもを持つ選択をした人のことを「理解不能で非合理的な人たち」と敵視してみたり(本当によく分からない...)、

自分の横で「子ども」の「こ」の字が聞こえた途端に話を折って噛み付く、みたいなことをし始めたとき、「これは社会性の危機では...」と思って身震いした。

まあ多少私の思い込みが過ぎるところがあるにせよ、そうなってしまうほどに

「成人女であれば良き頃に結婚して子どもを産むべきだ、それが普通であり幸せだ」

という呪いが強力だったのだ。

 

結局その後、何人か「私も子どもは欲しくない」という人に出会ったり、「呪い」という概念について知ることができたりして、当時抱えていた怨嗟(と呼んでいいと思う)は少しずつ萎んでいった。

でも、まだまだ心の中で澱のように積もっていて、心がかき乱されたときなどに膨らんだりもする。というか割と頻繁に起こる。

その辺のことはまた追い追い。