アラサーの髪型にまつわるエトセトラ
ブログに書くこと無いんじゃないかと思ってたけど、試しにネタをリストアップしてみたら軽く50個は思いついて、
何なら昨日は頭の中に文章が溢れてなかなか寝られなかった(って書くとなんか芸術家みたいでかっこいいから書いてみたが事実である)。
なんだ、そんなに書きたいことがあったのか。
とりあえず始めてみるって大事なんだなあ。
アルテイシア姐さん賛歌
さて、私には勝手に敬愛している女性ライターが何名かいる。
彼女たちはアラフォーで、加齢にともなって変化していく環境や人間関係、自らの体、心境などを巧みな筆致で描写してくださっている。
私は彼女たちが切り開いてくださった道をちょこちょこと辿れば良いだけなので、大変にありがたい存在だ。
その中の一人にアルテイシアさんがいる。
私は心の中で師匠または姐さんと呼んで勝手に慕っている。
彼女の文章から一貫して感じ取れるメッセージは、
「流されるな!受け身になるな!自分の幸せについて本気出して考えろ!そして行動しろ!」
ということである。
もう、これぞエンパワーメントである。
政府はなんかよく分からん女性活躍なんちゃらの啓発冊子とか作るんじゃなくて(実際に作ってるのかは知らん)、アルテイシアさんの本を全国民に配るべきだ。
そんなアルテイシア姐さんの新連載が熟女入門だということで、謹んで読ませて頂いた。
のっけから最高である。
姐さんでも、やっぱり加齢については複雑で繊細な思いを抱いていらっしゃるんですね。というところで一気に親近感を覚える。まあ当たり前か。
バージンヘア(笑)の輝き
上記リンク記事にあった、歳を重ねると着られない服があるという話、私は髪型について同じことを考える。
数年前、ふと思ったことがあった。
「あと10年ぐらいしたら白髪染めをしなければいけなくなる。
つまり、染めないままの黒髪 a.k.a.バージンヘア(笑)を楽しめるのって若い時の特権なのでは?
じゃあ今わざわざ金払ってカラーリングするのなんざ愚の骨頂では?」
金欠だし、10年ぶりに黒髪に戻してみた。
しかし評判はイマイチ。
それもそのはず、黒髪のままで垢抜けた印象にするのは、とりあえずカラーリングを定期的に行って「一応気を使ってはいるんですよ、一応」という免罪符を手に入れることの10倍は難しいことだったのだ。
私は黒髪のままこじゃれ感を出すようなセンスを持ち合わせていなかったし、
素朴で爽やかな印象を与えることができるような若さも、もうなかった。
だから、黒髪ロングストレートというド王道の清純派ヘアを謳歌している二十歳前後の若者を見ると、大変に眩しく感じる。
アラサー前髪問題
というわけで、半年ぐらいでおとなしく茶髪に戻ったわけだが、目下ヘアスタイルに関しての悩みがもう一つある。
それは前髪問題である。
私はこれまで前髪を切って下ろす(いわゆる「前髪を作る」)スタイルが好きだった。
額が隠せる分、小顔に見える気がするし、あと若くも見える。
しかし、年相応に落ち着いて、かつ知的に見えるのは前髪を伸ばし、横に流すスタイルである。
どちらかというと童顔の私は、デキル女風に見られたいならば断然後者のスタイルを選択すべきだ。
そう思って前髪を伸ばしてみても、なんか落ち着かない。座りが悪い。
で、結局前髪を作る。それを繰り返してきた。
敬愛するコラムニスト、ジェーン・スーさんのご著書でもこのアラサー前髪問題について触れられていた通り、この問題は重大である。
今日私は美容院に行って、悩んだ挙句デキル女欲が勝ち、前髪を伸ばす選択をした。
しかしここで一つの恐れが生まれる。
前髪は、いつまで作ることができるのだろうか。
黒髪と同じで、前髪が似合わなくなる時が来るのではないだろうか。
なんか無理して若作りしているように見られる日が来るのではないか。
身近にいるお手本となりそうなデキル年上の女性を思い浮かべてみても、見事にみんな前髪がない。
やはり威厳を出そうとするとそうなるのか。
ということは、特に威厳を出す必要のない今、そして前髪があって違和感のない年齢の今、わざわざ前髪を作らない選択をするというのは愚の骨頂ではないのか?
むしろ前髪を作るという贅沢な時期を味わうべきではないのか?
しばらくは前髪を伸ばしていく予定だが、すぐに気が変わるかもしれない。