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おばさんにはなれません。

30代,もう若者じゃないけどおばさんにもなりきれない人が日々考えていること

「何者」かになるって大変なことですね

「何者」という映画を観た。朝井リョウ*1の同名小説が原作だ。

今年はとにかく現実逃避のためにたくさん映画を観てきたが*2,その中でもベスト5に入るぐらい好きな映画だ。

観る前は就活をめぐる青春群像劇かと思っていたが,ツイッタ―で流れてくる感想を見ると

「ホラー映画」「ツイ廃涙目」「もう勘弁してくれ」

となかなかの阿鼻叫喚だったので,しばらく観る勇気が出なかった。

一方で

「あ,就活の話か。自分も就活つらかったな~」「いみわからん」「寝ちゃったw」

という感想もあったりする。

 

何となく予感はしていたが,自分は前者であった。

途中,「もうやめて,助けて,それ以上言わないで~~~!!!!」と心の中で叫び,自分という存在の痛さ,恥ずかしさに身もだえした。

これは就活という舞台を使って,「何者」になる前の若者たちの自意識を描いた作品である。

自意識とは。

広辞苑からの引用*3をしてみるならば,

じ-いしき【自意識】自分自身がどうであるか,どう思われているかについての意識

とのこと。

そんなものを真正面から描いているので,自意識過剰であるという自覚のある人ならば,大抵は私のような反応をすると思う。

自分がどうありたいか,どう見られたいかについて過剰に気にして,言動をコントロールしてるつもりが失敗してることをなんとか隠そうとして,それでいて「あいつよりマシ」って思ったり痛い人を観察してニヤニヤ笑ってる私を暴かないでー!!!!と。

 

登場人物たちの痛い行動に自分を重ね合わせてなんとなく居心地の悪い思いをしているだけに留まらず,クライマックスでは「ていうか観察者気取ってるオマエが一番ダセェからな!!!」ということを突きつけられる。

観察や批判は誰にでもできる。

それなのに,なんとなく賢く,他人と違う価値観を持ったような気分になれるため,お手軽に自己肯定感を得ることができる。

「阿賀氏の分析は面白いよな~」

とかおだてられると,本当に自分には世相を切る才能があるのではないかと錯覚してしまう。

 

一方で,一から何かを生み出す作業は,とってもつらい。それこそ天才でもない限り,自分を削り出すような作業なのだろうと思う。

一から生み出すといったら大いに語弊があるが,私は文章を書いたり人前で話すことを仕事にしようとしている。

文章を書くことが好きだと思っていたが,この書くという作業がつらくてつらくて仕方ない。

アイディアを言葉として打ち込んだ瞬間,それはとてつもなく陳腐に見える。

なんてつまらない,無様な文章なんだろう。

それでも,書かないことには人に読まれないし,業績にもならない。もちろん評価もされない。

頭の中にあるうちは,いつだって,何だって,傑作なんだよな

という「何者」の台詞を噛み締める。

それでも,どんなに無様でみっともなくても,書くことでしか前に進むことができないから,泣きながら(誇張でなく,本当に泣きながら)書き,そしてせっかく書いた文章をこき下ろされ続けるしかない。つらい。

 

ある日,とても無様なプレゼンを聞いた。

その分野で世界的に有名な先生の前で,若い発表者が英語でプレゼンをしていた。聞いているこっちが赤面するほどに日本人英語で,カタカナを棒読みしているようなひどさだった。

プレゼンが終わり,その有名な先生から質問があった。しかしその発表者は,その質問の英語を聞きとることすらできない様子だった。

私は「うわーww私なら今日この場でこの仕事辞めるねwww」と思った。

 

その後,そのプレゼンをしていた人と話す機会があった。

私は,その人に「この仕事つらくないですか?」と聞いた。てっきり「つらいよね,自分は英語もできないし,正直向いてないのかなって思う」という答えが返ってくるのだと思っていた。

そうしたらすかさず「分かります,私もつらくって~」と言いながら(そうだろうね,正直私の英語のがまだマシだわwww)と内心でつぶやこうと思っていた。

しかし,その人は「ううん,楽しいよ!」と何のてらいもなく言ってのけたのである。

私は自分がとてつもなく恥ずかしくなった。

確かに私の英語の方が多少マシかもしれない。しかし,私は世界的権威と会う機会があったとしても,下手な英語を話す自分を恥ずかしく思って,何も話せなくなるだろう。

無様でも挑戦している人*4と,それを横から見てただ嗤っている自分。

その差は歴然だった。多分,この差の積み重ねによって,数年後,数十年後にはもう取り返しがつかなくなるのだろう。

 

とりとめがなくなったが,この映画を観てそんなことを思った。まだまだ語りたいことがたくさんあるけど,長くなったのでこのへんで。

まずは今の自分のダサさ,みっともなさを認識したうえで,そんな自意識に打ち勝ち,10年後20年後の自分を見据えながら,人脈と見聞を広げて,素敵な仲間と切磋琢磨して,大自然からパワーをもらって,テンション高めで頑張ろうと思います!!!

*1:悔しいけれど好きだ。朝井リョウ加藤千恵オールナイトニッポン0は全50回を3回聞いた。その話はまた後日

*2:40本ぐらい。自分にしてはとても多い

*3:ダメな学生レポートあるある

*4:この発表者は自意識が低いタイプだったのかもしれないとも思う。それはそれで羨ましい。自意識過剰タイプは,無様な自分を受け入れることが難しい

ダメな私に最後のモテ期は来るのか

夢見る少女の話をしましょう。

むか~しむかし,私は少女漫画ジャンキーでした。

ときめきトゥナイトふしぎ遊戯なんて素敵にジャパネスク天は赤い河のほとり...

どれも主人公がひたすらモテる話でした。

そういうものを酸素と一緒に吸い込むようにして読んでいると,当然夢見がちな少女に成長してしまいます。

大きくなったら,私にもこんな素敵な彼氏ができるのだろうか。妄想は膨らみます。

今はブスだし根暗だし男子ともうまく話せないけど,きっと中学生になったら...高校生になったら...大学生になったら...。

 

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しかし,現実とはうまくいかないものだ。

大学生になったところで,顔も性格も急に良くなったりはしない。

そして何より,絶望的な恋愛経験値不足による挙動不審および猪突猛進型のアプローチスタイルによって,意中の人にも周りにもドン引きされ(一部の友人にはエンターテイメントとして消費され),20歳までの恋愛は完全に黒歴史となった。

どうすれば愛されるのか。どうすれば可愛いと思ってもらえるのか。

そんな風にトチ狂ってるのは私だけではなく,仲間内でも「私たちの何がいけないのか」と慰めあったり,「愛される女になるために」的な自己啓発本がグループ内を行き交ったり,まあみんな何かと発情していた。

大学受験で押さえつけられていた欲望が爆発していたのだろう。何とも健全な話だ。

 

そんな頃,仲間内で「ブリジット・ジョーンズの日記」を鑑賞した。

「とにかく面白いから観て!」と言って勧めてきたのは,人一倍恋愛に積極的だったAちゃんだ(愛され本の出所は大抵彼女だった)。

 

 

有名な映画だから説明するまでもないかもしれないが,ぽっちゃりめの30代独身女性が,2人の正反対なイケメンの間で揺れ動くラブコメだ。

主人公のブリジットは小太りでドジだけど,放っておけない可愛さがある。

スタイル抜群の美人じゃなくても,モテることもあるのね!!

単純な私たちは,フィクション相手に安易な希望を持った。

そして,選ぶならお堅いコリン・ファースよりも断然プレイボーイなヒュー・グラントだよね!と盛り上がった。

 

時は流れ,2016年秋。私たちは,当時のブリジットと同じ歳になった。

Aちゃんは大学卒業後すぐに結婚し,専業主婦となって2人の子どものママだ。

かたや私は未婚のプロ(ⓒジェーン・スー女史)予備軍ライフを謳歌している。

ブリジットはもう40代。そんな彼女に最後のモテ期が来るというので,その様子を見届けに行ってきた。

花金のレイトショーに一人で,アルコール片手に映画鑑賞。独身アラサーの鏡である。

 

(注:以下ネタばれあり!!)

 


ブリジット,まさかの妊娠。しかも父親が誰なのか分からない!

音楽フェスで一夜をともにしたアメリカの企業家か,元彼のコリン・ファースか。

またも揺れ動くブリジット,そして牽制しあう男2人...

 

この映画を観て,自分自身の経年変化を感じた点が2つある。

 

その1:断然コリン・ファース派になった。

口のうまさよりも誠実さがほしいお年頃なのである。

堅実で不器用で理屈っぽくてネガティブ,だけど誠実。なんて素敵なの!!

多分,いま1作目を観たらヒュー・グラントよりもコリン・ファースを選びそうだな。

 

その2:結婚=ハッピーエンドとは思えない。

正直,このご時世に結婚式エンドは時代遅れでは?と思った。

アナ雪やマッドマックスであんなに見事に恋愛以外の関係性を見せてもらってしまったので,恋愛結婚っていう超フツーーーの結末を見せられてもな...。

あのままどちらとも一緒にならず,仕事を頑張り,シングルマザーとして生きていく方が好みだった。

この10年あまりで私の結婚観と人生観がトリプルアクセルをかましてしまったせいもある。いや,正直それがでかい。

 

(ネタばれここまで)

 

 

さて,ブリジットには何度も来たモテ期であるが,同じくぽっちゃりで要領の悪い私には結局来ずじまいであった(いや,まだ終わってはないか)。

それでも今は,男に愛されるよりも,早く自立した「何者」かになりたいなと思う次第だ*1

まあでもぶっちゃけ,両方手に入れるのが一番いいですけどね。

*1:下手な伏線。そのうち「何者」についてのレビューを書きたい。絶対書く。

冬がクソである件について

夏生まれの人は夏好き,冬生まれの人は冬好きの法則,結構当たってると思う。

私は夏生まれで,夏が好きで冬が嫌いだ。

そんなわけで,お盆を過ぎてなんとなく空が遠くなり,ツクツクボーシが鳴くようになり,川沿いをとんぼが飛ぶようになってくると,

自転車をこぎながら「もう夏は終わりなのか...」と切なくなる,ということを小学生のころから繰り返してきた(なぜか自転車に乗ってるときが多い)。

 

冬が好きな人には,なぜ冬が好きなのか説明して頂きたい。

だって寒いし,日は短いし,クリスマスとかウザいじゃないですか?(近年はハロウィンという自意識との戦いイベントも加わった)(でもケーキとチキンはしっかり楽しむよ!)

かつて愛聴しているTBSラジオの「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(通称タマフル)で「夏って,クソじゃね?」特集が組まれたことがあったが,

私にとっては「冬こそクソ」である。

とはいえ,私にとって1年の中で一番キツい時期は,今である。例年11月に心身の調子を崩すことが多い。

つまり秋クソでもあるのだ。

 

なぜ秋がクソなのか。

それはやはり我々人類になんの断りもなく急に寒くなるのと急に日が短くなるために,こちらの身体が振り回されるからである。

特に今年の秋の生き急ぎっぷりは一体何なのか。生き急いだ先に何があるというのだ。

太陽,もっと頑張れよ。つるべ落としされてんじゃねーよ。

これから何カ月もこの暗さが続き,今よりどんどん寒くなっていくかと思うと,私はいったいどうやって生きていけばいいのだろうか。

大げさでも何でもなく,毎年そうやって人生を悲観するのである。

そしてキリスト教徒でもないのにアドベントカレンダーよろしく指折り数えて冬至が過ぎるのを心待ちにする。

 

季節のめぐりを1週間でたとえるならば,春夏は週末で,秋冬はウィークデイだ。

体感時間的にも,春夏はあっという間に過ぎ,秋冬は「もう頼むから早く時間が過ぎて下さい」って願うのに一向に時間が経たない。

勤めていたころ,火曜日の朝が一番つらかった。

「おいおい,まだ4日もあるのかよ...」という絶望感に苛まれながら,乗りたくもないローカル線に揺られて会社に通っていた。

恐らく11月初旬というのは,この火曜日の朝と同じぐらいのテンションだ。

「おいおい,まだ冬本番はこれからなのかよ...」

そしてその後の4日間をどう過ごしたのかイマイチ記憶にない(つらすぎて)というのも同じ。毎年1月2月の記憶はあいまいだから。

 

急に寒くなって体調を崩すというのはまあ分かりやすい話だが,どうやらこの精神の落ち込みは,日照時間と関係しているらしい。

季節性情動障害 - Wikipedia

わー,生き物っぽーい。と我ながら思う。

日が短くなって気温が下がり,草花は枯れて動物は冬眠するこの季節,活動量が減るのは道理にかなっているような気がする。

人間も冬眠すべきだと思う。

正直,寒さそのものよりも(それも冷え性にとっては十分つらいが)日照時間の少なさが堪えてるのかもしれない。

とにかく気が滅入るのだ。

そもそも年中気が滅入っている人間なのに,これ以上どう滅入れというのか。

って書いてたら本当に滅入ってきたので,ちょっと三代目のPVでも見てテンション高めでいきましょう!!!!!(AM1:30)

 

ほら,三代目のみなさんも「夏ヤベェ!!(大意)」って言ってるじゃん!

アラサーの髪型にまつわるエトセトラ

ブログに書くこと無いんじゃないかと思ってたけど、試しにネタをリストアップしてみたら軽く50個は思いついて、

何なら昨日は頭の中に文章が溢れてなかなか寝られなかった(って書くとなんか芸術家みたいでかっこいいから書いてみたが事実である)。

なんだ、そんなに書きたいことがあったのか。

とりあえず始めてみるって大事なんだなあ。

 

アルテイシア姐さん賛歌

さて、私には勝手に敬愛している女性ライターが何名かいる。

彼女たちはアラフォーで、加齢にともなって変化していく環境や人間関係、自らの体、心境などを巧みな筆致で描写してくださっている。

私は彼女たちが切り開いてくださった道をちょこちょこと辿れば良いだけなので、大変にありがたい存在だ。

 

その中の一人にアルテイシアさんがいる。

私は心の中で師匠または姐さんと呼んで勝手に慕っている。

彼女の文章から一貫して感じ取れるメッセージは、

「流されるな!受け身になるな!自分の幸せについて本気出して考えろ!そして行動しろ!」

ということである。

もう、これぞエンパワーメントである。

政府はなんかよく分からん女性活躍なんちゃらの啓発冊子とか作るんじゃなくて(実際に作ってるのかは知らん)、アルテイシアさんの本を全国民に配るべきだ。

 

そんなアルテイシア姐さんの新連載が熟女入門だということで、謹んで読ませて頂いた。


のっけから最高である。

姐さんでも、やっぱり加齢については複雑で繊細な思いを抱いていらっしゃるんですね。というところで一気に親近感を覚える。まあ当たり前か。

 

バージンヘア(笑)の輝き

上記リンク記事にあった、歳を重ねると着られない服があるという話、私は髪型について同じことを考える。

 

数年前、ふと思ったことがあった。

「あと10年ぐらいしたら白髪染めをしなければいけなくなる。

つまり、染めないままの黒髪 a.k.a.バージンヘア(笑)を楽しめるのって若い時の特権なのでは?

じゃあ今わざわざ金払ってカラーリングするのなんざ愚の骨頂では?」

 

金欠だし、10年ぶりに黒髪に戻してみた。

しかし評判はイマイチ。

それもそのはず、黒髪のままで垢抜けた印象にするのは、とりあえずカラーリングを定期的に行って「一応気を使ってはいるんですよ、一応」という免罪符を手に入れることの10倍は難しいことだったのだ。

私は黒髪のままこじゃれ感を出すようなセンスを持ち合わせていなかったし、

素朴で爽やかな印象を与えることができるような若さも、もうなかった。

だから、黒髪ロングストレートというド王道の清純派ヘアを謳歌している二十歳前後の若者を見ると、大変に眩しく感じる。

 

アラサー前髪問題

というわけで、半年ぐらいでおとなしく茶髪に戻ったわけだが、目下ヘアスタイルに関しての悩みがもう一つある。

それは前髪問題である。

 

私はこれまで前髪を切って下ろす(いわゆる「前髪を作る」)スタイルが好きだった。

額が隠せる分、小顔に見える気がするし、あと若くも見える。

しかし、年相応に落ち着いて、かつ知的に見えるのは前髪を伸ばし、横に流すスタイルである。

どちらかというと童顔の私は、デキル女風に見られたいならば断然後者のスタイルを選択すべきだ。

そう思って前髪を伸ばしてみても、なんか落ち着かない。座りが悪い。

で、結局前髪を作る。それを繰り返してきた。

敬愛するコラムニスト、ジェーン・スーさんのご著書でもこのアラサー前髪問題について触れられていた通り、この問題は重大である。 

女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。

女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。

 

 

今日私は美容院に行って、悩んだ挙句デキル女欲が勝ち、前髪を伸ばす選択をした。

しかしここで一つの恐れが生まれる。

前髪は、いつまで作ることができるのだろうか。

黒髪と同じで、前髪が似合わなくなる時が来るのではないだろうか。

なんか無理して若作りしているように見られる日が来るのではないか。

身近にいるお手本となりそうなデキル年上の女性を思い浮かべてみても、見事にみんな前髪がない。

やはり威厳を出そうとするとそうなるのか。

ということは、特に威厳を出す必要のない今、そして前髪があって違和感のない年齢の今、わざわざ前髪を作らない選択をするというのは愚の骨頂ではないのか?

むしろ前髪を作るという贅沢な時期を味わうべきではないのか?

 

しばらくは前髪を伸ばしていく予定だが、すぐに気が変わるかもしれない。

タイトルの由来

当方32歳独身女性。

おばさんというのは何歳から始まるんだろう。

30歳?35歳?

厚生労働省によれば,34歳までは若者らしい。

マイナビの記事によれば,30歳説と35歳説が有力らしい。

20代後半と答えてるアホども(失礼)は置いておくとして,まあ大体30代になったら「おばさん」というものを意識せざるを得ないようだ。

 

ところで私は,自分の中におばさんというアイデンティティがまるでないので,そんな風潮に大変困惑している。

確かに,二十歳前後の子としゃべることがあると「あ,全然違う」と思う。肌とか,発言の幼さとか(まあ人によるけど)。

特に彼らの恋バナの屈託のなさが眩しいったらない。

素直に惚れたはれたを語り,衝動だけで行動したりしなかったりし,30歳までに結婚して子供を産むんだろうな,ということをなんの疑いもてらいもなく信じている。

 

それと比べて自分はどうだ。

20代で散々男に痛い目にあわされ,アホな既婚者にハマり,その反動でフェミニズムに走って結婚観と男性感をこじらせて,2回転半ぐらいして現在,

二次元と宝塚の男役とLDHがあればいいと割と本気で思っている,何とも一般的かつ健全なアラサー独身女性である。

ちなみに自分の遺伝子とかいらないので,子どもも欲しくないし。

彼氏はいるが,惚れたはれたとかじゃなくて,なんていうかライフラインとかインフラとしての彼氏なので,大好き♡とか結婚したい♡とかいうピュアーな乙女心(出典:セーラームーン)から一緒にいるのではない(相手がどうかは知らない)。

 

閑話休題

とにかく,今の自分が20代前半のテンションとは違うことはよく理解しているんだけど,

そのことイコール「おばさん」になった,ということは受け入れがたいのである。

しかも自らおばさんを自称するならまだしも,他人をある年齢で勝手に区切って

「もう○○歳だからすっかりおばさんだねwww」

とか言ってくる失礼な輩にはケツバットを食らわせてやりたい。

あと,私より年下だったり,年上でも美人の人が「ババア」を自称してるのを見聞きしてもつらくなる。

(でも,もちろん自称する自由はあると思うし,それ自体をとやかく言うつもりはない。自己防衛的に自称してる人もいるだろうし,本当に自分のアイデンティティを自覚して自称している人もいるだろう)

 

あれだよ,二十歳になったからって「大人」になるわけじゃないのと同様,三十路になったからって判を押したように「おばさん」にはならないよ。

「おじさん」ももちろん然りだよ。

これは多分,私が「おばさん」というカテゴリーにネガティブなイメージを抱いているから,そこに入れられると不快だ,ということよりは,

人を年齢や性別で雑にカテゴライズしないで頂きたい。

ということなのかなと思う。

何歳になっても私は私であり,女であることを楽しんだり受け入れたり捨てたりするのは自分のタイミングで決めたい。

 

長くなってしまったが,ブログタイトルの由来はそんなわけで「おばさんにはなれません。」にしてみた。

今のところはおばさんになる予定もないし,なりたいわけでもない。

そんな感じの立場から,日々考えたことをメモっていきたいと思う。

でもそのうちおばさんになるかもしれない。その時にはまたタイトルを考えよう。

とりあえず始めてみた

何のアイディアもないけど,ブログを始めてみることにする。

思えばツイッタ―が出てきて以来,長文ブログというものを書かなくなってしまった。

それまではmixiに誰も読まない長文ブログを書いていた。

せっかくブログを始めるにあたって,何かテーマを決めたいなあと思いながら,これといったものが見つからないまま,ブログを開設すること自体を後回しにし続けていた。

でも,このままだと多分作らないままだなと思ったので,とりあえず開設するだけして,あとは書きながら考えようという感じ。

田舎者なのでブロガーとか超憧れるんだけど,どうやってなるのか分からないし,特段面白いことも書けそうにないので,自分が書きたいことを好きな時に書くための場所ということで,ゆるゆるとやっていこうと思う。