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おばさんにはなれません。

30代,もう若者じゃないけどおばさんにもなりきれない人が日々考えていること

ユーリとボーイズラブと私

昨年11月ぐらいから、ユーリ!!! on iceというアニメの沼にどっぷりと浸かってしまっている。

アニメイトに通うのも、アニメ雑誌を買い集めるのも、二次創作物を愛でるのも、某所で鼻息荒く薄い本を物色するのも15年ぶりだ。

 

私はオタクかオタクじゃないかと言われればどう考えてもオタク寄りの人間だし、多感な10代という時代の5分の4ほどは2次元(および2.5次元)に捧げてきた。

当時ファッションに費やすお金はなく(そして特段の興味も持てず)、もし臨時収入があったとしても迷わず漫画やアニメ雑誌、ビジュアル系バンドのライブ、はたまた宝塚のチケットを消費していた。

恥を忍んでここに記すが、ぶっちゃけ高校を卒業するまで、母親が選んで買ってきて、朝洗面所に置いてくれている服をそのまま着ていたほどだった。*1

 

ずっと共学だったが、そんな感じで心身ともにモッサリとしていたせいで、彼氏なんてできるはずもなく、例えば私が誰かに告ったところでこんなキモブスに告られたなんてその人の黒歴史にしかならないだろうと思っていた。そんな自分が嫌いだった。

私たち暗黒乙女の性的好奇心を満たすものは、ボーイズラブ(以下BL)であった。

男子の間ではエロ本やらAVの貸し借りが行われているという専らの噂だが、女子、の一部ではBL本の貸し借りが秘密裏に行われている。

なぜレディコミではなくBLなのか。

それは、自分が少女漫画およびレディコミの主人公になれるようなカーストではないと重々承知しているからである。

漫画の中のイケメンは自分のようなモサい女を好きになるはずがない、むしろ好きになったら幻滅する、だからといって別の可愛い女と恋に落ちたところで真顔になって「あ、そうですよね」ってなるだけだ。

一方のBLであれば、美しい男たちが紙面の中であっはんうっふんしてるのを神の視点から「美しい...」と愛でれば良いだけであり、自分が彼らの関係性からはじき出されている気楽さがあるのだ。

 

で、御多分に洩れず私もBLを嗜んでいたわけだが、当時ガチで中学の保健体育以上の知識がなかった私は、BL漫画(市販のものも同人誌も読んでた)で男たちが汗をかいたり泣いたりしながら何かやっているぞ、一体何をどうしているんだろう?

っていうかこの物体とかこの液体は何?という感じだった。

でも何かやらしいということだけは分かった。

とにかくこの2次元の男たちが汗をかいたり泣いたり頬を赤らめたりヨダレを垂らしたりしながらやっていることが、とても良いことのように思われた。

 

そんなこんなでブチ上がってしまったその行為への期待が「あ、こんな感じなのか...」と打ち砕かれたのは数年後のことだ。

何とか自分を変えようと思って、過去の自分を知る人がほとんどいない大学に入ってから「何が何でも脱ヲタをキメて彼氏を作ろう」という気概を燃やし、ファッションや化粧を勉強したりして見た目の脱ヲタを図った。

最初はさぞ素っ頓狂な感じだっただろうが、トライ&エラーを重ね、何とか「キモヲタ」から「ちょっと野暮ったいぐらいの一般人」ぐらいまでレベルを上げることができた(と思う)。

そのおかげなのか、晴れて彼氏ができて、行為に及ぶことができた。

自分が一部の酔狂な男子から欲情される対象であったという事実を発見したときは嬉しかった。

しかし何だか様子がおかしい。

漫画ほど汗はかかないし、涙も出ないし、ヨダレも垂れないし、意識も飛ばないし、言葉攻めもネクタイで手首縛るとかもないし、最初のうちは余裕でリードしてたけど受のかわいい反応を見て理性がプツッとして急に激しく攻めはじめるスーパー攻様もいないし、思ってたんと違うぞ!!!

あと、漫画の中では攻と受の関係は唯一無二であり、どんなにすれ違っても喧嘩しても、おセッセすれば ハイ仲直り!みたいだったじゃん!(むしろ喧嘩すら燃え上がるためのスパイスだったじゃん!)

なのに、なんか奴ら(少ない歴代彼氏)平気でひどいこと言ったり裏切ったりするじゃん?スーパー攻様でもないのに!言葉攻めも満足にできないくせに!

なんかもう、疲れちゃったなあ...自分とリアルな男が恋愛するとか、もういいや...

 

って思ってたところにですよ?

真正面から男同士の「愛」をテーマに掲げる素晴らしいアニメが目に飛び込んできたわけですよ。

ユーリ!!! on iceが。

男同士の愛といっても、アニメの中で描かれるのは、主人公勇利とコーチのヴィクトルとの(表向きは)師弟愛。

表向きはと書いたのは、通常「師弟愛」という言葉から想起されるような愛情をはるかに飛び越え、華麗に4回転フリップをキメるがごとき描写がされているからである。

なので、作り手の意図から離れたところで男×男の恋愛模様を妄想する腐女子の手にかからずとも、「えっ、この2人...?どういう関係?どこまでいってるの...?」とドキドキできる仕組みになっている。

この関係が尊いのである。

真実の愛とか永遠の愛とかをイマイチ信じる気にならないが、2次元の男同士を通してなら信じることができるような気がする。

なぜだろう。

やっぱり、残念だけど自分には関係がないところに存在する(かもしれない)ものだと思っているのかもしれない。

 

せっかくユーリの話をするのに、もっと綺麗なこと書きたかったんだけど...

ちょっと2次創作(ヴィク勇18禁)を読みすぎているせいかもしれません。

*1:母は娘の私から見てもセンスが良くおしゃれだが、なぜか思春期の私に着せていた服はダサかった...というか、今思えば勝手に買ってくるからサイズ感めちゃくちゃだし、実際私は小柄な方なのにLサイズを着せられていた気がする。母は、私を「女」にするのをどこかで拒んでいたようなフシがあった。これについてはまた別の機会に。

子どもを産みたくない話

新年一発目から重めの話かよ。

でもこのことを一番書きたくてブログを始めた気がするので、少しだけ書いてみたいと思います。

正月ということで親戚が集まったり、子どもの写真入りの年賀状をもらったりして、このことを考える機会が一年で一番多い気がするので。

 

私は子どもを積極的に持ちたいと思ったことは一度もない。

小さい頃から「大人になったら結婚して子どもを産むものだ、それが普通だ」という漠然とした社会の雰囲気は感じてたけど、その当事者になるという実感も願望もなかった。

あと大変勝手な話だけど、子どもの頃から自分より年下の子どもが嫌いだった。

自分よりも小さい子どもがいると、私の世界を邪魔されるような気がして鬱陶しかった。

だって奴ら、私が大切にしてた絵本とか積み木をヨダレでベタベタにするし、こちらの完全なる好意で塗り絵をあげてもクレヨンでめちゃくちゃに殴り書きするし(挙句にそんなめちゃくちゃなものを大人に褒められてるし)、そのことについて大人に怒りながら訴えても「◯◯ちゃんはまだ小さいんだし、許してあげなさい」とか言われるんだよ??

いや、許せねーから!!!

自分は第一子で、3歳下の弟がいたので、そんなことが日常茶飯事だった。

よく「一番上の子は面倒見がいい」と言われるが、私は弟が邪魔で仕方がなく、力で勝てなくなるまでずっと弟のことをいじめていた最低な姉だったと思う。

 

まあそうは言っても、こちらも年齢だけは大人になっていくので、おおっぴらにそういうことを言わない方が良さそうだということは学習していく。

とはいえ、赤ちゃんや幼児を見ても「かわいー❤️」とは思えないままだったし、自分が産むという当事者意識も持てないまま、時が来れば(具体的には25歳ぐらいになれば)母性本能というものが湧いてきて、「産みたーい❤️」とか思うようになるのだろうと思っていた。

 

この「いつかその時が来るのかも」という漠然とした思いが「いや、産みたくないわ」に変わった瞬間を覚えている。

確か私が22〜3歳の頃だ。

近くの図書館で本を物色していたときのこと。

この図書館は、入って左に一般向けの書棚、右に子ども向けの書棚がある配置だった。

その一般向け書棚の方に、子どもが迷い込んで、お母さんを探して泣き喚いてるのを見た。

最初は正直「うるせーな、親は何をやってるんだ。目離すなよ」と思った。

でも次の瞬間、

「え、親になったら、一秒も子どもから目を離せないの?本もゆっくり探せないの?」

って思って血の気が引いた。

私が子どもの頃から当たり前のようにやっていた、図書館で本を探し、一人で静かに読むという行為が、母親になったらできなくなるのか!?

 

そう思った瞬間、これまで見えていた世界が一変した。

一人でカフェに入ることも、旅行に行くことも、フラッと飲みに行くことも、つまり今まで自分が何気なくやっていることが、思うようにできなくなるのでは...?

せっかく自分の時間とお金を少し作ることができるようになって、人生これからというときに、なぜこの自由を手放さなければならないのか。

子どもが小さい時だけの我慢だと言われるかもしれないが、だって5年経ったところで奴らまだ5歳だからね?10年経ってもまだ10歳だよ?

 

自分がその当事者になる可能性について、具体的に考えていなかった浅はかさと想像力の欠如を恥じた。

また、世の中の「母親」という役を担っている人たちが感じている重圧を想像して、尊敬するとともに、とても怖くなった。

あ、私無理、産めない。と思った。

 

そう思った途端、ものすごい罪悪感と劣等感に襲われた。

女なのに子どもを産みたくない自分。

大人なのに子どもを可愛がれない自分。

人間も生物の一種であり、生物の存在目的が子孫を残すことにあるのならば、子孫を残したいと思わない自分は失敗作なのではないか。

 

今ならこれらは「呪い」(まさに去年、逃げ恥で話題になった「呪い」そのものだよね...)であり、別に誰であろうと子どもを持っても持たなくてもその人の価値に何ら影響を及ぼすことではないと思えるけれども、当時の私はこの「呪い」から逃げることができなかった。

で何をしたかというと、自分のスタンスが間違ってないことを証明するために、理論武装をした。

フェミニズムを勉強してみたり、子育ての体験談を読んで「あー絶対無理」っていう思いを強くして、子どもを欲しいと思わないことを正当化してみたりした。

そうでもしないと、社会からかけられる「呪い」が強力すぎて「立ってられないから...!」(©何者)という感じだった。

 

でもそうすればするほど、自分が頑なになって、辛くなる一方だった。

劣等感のあまり、子どもを持つ選択をした人のことを「理解不能で非合理的な人たち」と敵視してみたり(本当によく分からない...)、

自分の横で「子ども」の「こ」の字が聞こえた途端に話を折って噛み付く、みたいなことをし始めたとき、「これは社会性の危機では...」と思って身震いした。

まあ多少私の思い込みが過ぎるところがあるにせよ、そうなってしまうほどに

「成人女であれば良き頃に結婚して子どもを産むべきだ、それが普通であり幸せだ」

という呪いが強力だったのだ。

 

結局その後、何人か「私も子どもは欲しくない」という人に出会ったり、「呪い」という概念について知ることができたりして、当時抱えていた怨嗟(と呼んでいいと思う)は少しずつ萎んでいった。

でも、まだまだ心の中で澱のように積もっていて、心がかき乱されたときなどに膨らんだりもする。というか割と頻繁に起こる。

その辺のことはまた追い追い。

漢方パワーで無気力が治りかけたまま小康状態を続けている件

ここまでのあらすじ

無気力が極まって生きることに罪悪感を覚えていた30女が漢方薬を飲んで健康な生活を試みた結果...!?

 

前回までのおはなしはこちら↓

oh-joe.hatenadiary.jp

 

 漢方薬局で出されたお薬の飲んでみたところ

 

起きれる!!!!!

家事ができる!!!!!

家を出れる!!!!!

雑用ぐらいならパパッとできる!!!!

 

1週間、いや3日ぐらいで効果覿面であった。

これが普通だと思うことなかれ。

私はこれまで3年間、これらのことが週の半分はできていなかったのだ。

朝きちんと起きると、今日も1日頑張るぞっていう気分になるし、きちんと仕事をしようという気持ちになるのだと実感した。

さらに底辺だった自己肯定感が適正なレベルに近づいたことにより、ごはんは美味しいし映画も罪悪感なく楽しむことができるようになった。

以前は何をするにも「今週も二酸化炭素を放出するだけの人生だった」という罪悪感が邪魔をしていたのだ。

 

で、問題は、これは本当に漢方薬の効果なのかということだ。

実際のところ、よく分からない。

なぜなら食事や睡眠といった生活改善も同時に行ったからである。

一番効果が大きかったのは、寝る時間を2時間前倒しして、睡眠時間をそのまま2時間増やしたことだと思う。

8時間ぐらい寝ると、朝起きるつらさがぐっと減り、日中も活力が満ちていることに気がついた。

私は小5ぐらいで早めの中二病をこじらせて以来、「深夜のヲタ活は捗るでござるなあドゥフドゥフッ」という感じで睡眠時間を削って趣味に費やすことが癖になっており、

30を超えた現在でもそれは同様であった。

そして仕事が切羽詰まったときなど、徹夜も珍しくはなかった。

そんな感じなので6時間も寝られれば十分だと思っていたのだが、起きられないのは睡眠の質が悪いせいではなく、そもそも量が足りてなかったのだと気がついたことは、なんつーかエポックメイキングであった。

マジで涙が出るほど当たり前のことである。

 

ちなみに現在、漢方ライフを始めて1ヶ月経過している。

今でも週に1回薬局に通い、そのたび体調について相談したり、薬を変えてもらったりしている。

まだまだ健康体とはいえず、治したいこともたくさんあるが、ひとまず私の無気力状態はただの怠けじゃなく、実際に体調が良くなかったということが分かったことは非常に大きな成果だったと思う。

 

現状、朝狙った時間に起きれるかどうかについては、今のところ勝率は6割といった感じだ。

日中思ったように動ける日が8割ぐらいで、決して毎日調子がいいというわけではない*1

冷えはかなり改善したのではないだろうか。

今のところ、暖房だけではどうにもならず湯たんぽを入れたのは今冬1回だけである。

とにかく毎年この時期は日照時間の減少、冷え、暴飲暴食などでほぼ死んでいることを考えると、今は心身ともにかなり元気だと思う。

 

漢方薬を飲んだことがある人は多いと思うが、特に若い人で漢方の専門薬局に行ったことのある人は少ないんじゃないだろうか。

かく言う私も、ツイッタ―で流れてきたブログ記事(前々のエントリ参照)を見る前は存在すら認知していなかった。

たまたま近くに薬局があって、たまたま薬局のおにいさんが親切な人だったので運が良かったと思うけど、漢方とは長いつきあいになりそうだなあと思っている。

もし心身に何となく不調を抱えていて、「病院に行くほどでもないよなあ...とはいえつらいなあ...」と感じている人がいたら、騙されたと思ってぜひお近くの漢方薬局に相談に行ってみてほしいと思う。

世界が開けますよ。

 

とか書いている今日の私は昼までベッドから起きられず、1日中外に出ずぼんやりして過ごしてるので、あんまり説得力なくて申し訳ない。まあこんな日もある。

*1:当たり前かもしれないが、前日に疲れるようなことをしたとか、お酒を飲んだとか、天気が悪い朝とかは起きづらいし調子が悪い。

漢方パワーで無気力が治りかけている件 2

漢方話のつづきです。

思ったよりも間が空いてしまった。別に誰も楽しみにしてないだろうから、ボチボチ書きます。

前回までのおはなし↓ 

 

さて、前回はネットで「心脾両虚」(心と胃腸が弱り、頭も回らないとかいう最低なやつ)についての記事を見つけ、最寄りの漢方薬局に予約メールを打ったところまでで終わっていた。

その後、タイミング悪く海外出張が控えていたために、実際にお店に伺ったのはメールをしてから10日ほど過ぎた頃だった。

メールではこんな得体の知れない30女のために丁寧に対応してくださり、漢方薬局(あやしげ)という未知の世界に踏み入れる恐怖心はなくなっていた。

無気力状態(前回の記事参照)が良くなるのかどうかは半信半疑だったけど。

 

お店では、さらに詳しく1時間ぐらいかけて体調について質問を受けた。

もうこれだけでカウンセリング効果抜群っていうか、このような怠惰な甘え人間の体調について聞いてくださっている...という謎の感動があった。

聞かれたのは症状について、食事、睡眠、お通じ、その他気になっていることなどなど。

向こうのほうから「ひょっとして、こんな症状はないですか?」とか聞かれて、そういえば...ということも多々。慢性化してしまって、自覚できない症状も多い。

 

私の場合、お腹が弱いくせに暴飲暴食を繰り返して消化不良を起こしていたり、つねに胸焼けを起こしていたのだけど、これがあまりに日常的になっていたのでほとんど自覚がなかった。

しかしよく考えたら、体調を崩す直前には食べ過ぎ・飲み過ぎている場合が多い。

具体的には、旅行で食い倒れたときとか飲み会が続いたときなど、お腹が張って張って仕方がなく、なのに何も排出されず、胃腸がオーバーヒートしたように全身に熱感と倦怠感があった*1

そんな状態になるまで食うなよっていう話だけど。

そしてさらに、しばらく「お腹が空いた」という感覚を味わっていなかったことに気がついた。

つまり、今まで空腹感を感じないままに食べ物を胃の腑に流し込んでいたのである!!怖い怖い!!

 

それから、十分に睡眠を取れていない可能性もあるとのこと。

これは本当に目から鱗で、私の中ではしっかり寝ているつもりだったのだ。

しかし、朝起きるのがつらくて二度寝してしまうということは、睡眠時間が足りていないということかもしれない。

さらに毎日のように鮮明な夢を見ていて、週に1回ぐらいは悪夢にうなされて起きるということも繰り返していた*2。そうなるととても休まった気がしない。

つまり睡眠で脳が十分に休まっておらず、日中にぼーっとしたり物忘れが多くなったりする...のかも?

 

そんなわけで、

  • 胃腸にやさしい食事を心がける(暴飲暴食・冷たいものを避け、寝る直前は食べない)
  • 睡眠を十分に取る

という、大変基本的な生活アドバイスとともに、お薬を出していただいた。

出していただいたお薬はこちら*3

  • 人参湯(温める薬)
  • 心脾顆粒(心脾両虚を治す薬)↓詳しくはこちら

心脾顆粒(しんぴかりゅう)公式ページ|漢方・中医学のイスクラ産業株式会社

 

その後、私は持ち前の真面目さを発揮し、生活アドバイスを忠実に守り、朝晩の漢方薬を欠かさずに服用した。

すると、なんということでしょう!!!

 

つ★づ★く

*1:人生最悪の思い出として、激務+飲み会続きの果てに行った沖縄旅行でもさらに食べ過ぎ、当然のごとく体調を崩し、彼氏の前で盛大にリバースするという大事故が発生済である。

*2:大体、何かに追いかけられたり、提出しなきゃいけないものを提出してなくてヤバイとか、そういうやつ。正夢かもしれない。

*3:個人が特定されないといいな。

漢方パワーで無気力が治りかけている件

前の記事から間が空いてしまった。

この間わたしは、地を這うようだった精神状態から、体調の改善とともに精神状態が向上するという地味な変化があった。

精神が健全だと、ブログに長々と書くことがなくなるもんだなと思う。

でもまだ尺取り虫がバッタになったぐらいの改善にすぎず、晴れてホモサピエンスになれるのはまだ先のことである。

せっかくなので、そのことについて長々と書いてみようと思う。

 

私は3年ぐらい前から頭がシャッキリせず、記憶力や思考能力の低下、無気力、集中力の低下、昼夜逆転、それによる罪悪感と劣等感、また本業や人間関係への支障に悩まされていた。

これってぱっと見、「怠けてるだけじゃね?」「甘えてるだけじゃね?」っていう感じに映るし、自分でもそう思っていた。

 

「今日も昼に起きて、ダラダラしてたら夜になってしまった死にたい」

「約束をすっぽかした、もしくはダブルブッキングをしてしまった死にたい」

「仕事は進まないがツイッターは捗る死にたい」

 

などなどの症状(?)が続き、もともと低い自尊感情が今度こそ地に落ち、そこからブラジルに向かってずぶずぶと沈んていくような状況であった。

 

しかし過去には、一応受験戦争をそれなりに勝ち抜いてきたわけで、特に記憶力と集中力には自信があった。

さらに今から5〜6年前には仕事や遊び、勉強にボランティアとフル回転しており、今みたいな無気力状態とは無縁の毎日を送っていた。

「時間は有意義に使わないと!下らないテレビとか見てる暇ないから!」

とかホザいてたと思う。

この落差は一体何なのだろう。

老い?これが老いなのか!?

おばさんを自称できなくても、脳みそはチャッカリシッカリ老いているのか!?

 

症状を自覚し始めたのは、3〜4年ほど前である。

要因として考えられるのは、以下の3点。

 

1. 仕事を辞め、自由に時間を使えるようになった→サボろうと思えばサボれる環境

2. 一人暮らしを始め、生活のリズムを誰かに合わせる必要がなくなった→生活リズムの乱れ

3. 心身に過度なプレッシャーがかかるイベントが何度もあった→心身ともに疲労が蓄積

 

こうやって無秩序に緊張と緩和を繰り返す生活を3年も繰り返すと、こんな感じに仕上がるわけです。

じゃあ規則正しい生活をして計画的に仕事をしろよって感じなんだけど、ここまでくるとそれすらできず、さらにできない自分を責めるだけで、もっと動けなくなるという負のスパイラルに陥るだけ。

ここで「気合が足らん!」「根性が足らん!」「筋肉が足らん!」って思う人は、ああそうですね、その通りですすみませんって謝るから、ページをそっ閉じしてください。

 

さてここからが本題。

なぜ前述のクソみたいな状況が改善してきたのかというと、日常に漢方薬と養生を取り入れたからである。

前々から、「漢方というのはなんかすごいらしい」ということは漏れ聞いていた。

うちの愚弟は生まれつき虚弱体質だったのだけど、母親の長年の奮闘の結果、漢方がいいらしいということを嗅ぎつけ、毎日ドブのような見た目の煎じ薬を嫌がる弟に飲ませ続けたところ、滅多に体調を崩さなくなったというのを横から見ていた。

あと、西洋医学では診断がつかないレベルの体調の悪さには漢方がよく効く、ということも何となく知ってはいた。

 

しかし、なかなか日常生活に取り入れるのは難しい。

病院に行って「漢方薬にしてください」という一言が言えず、そもそもその辺の片田舎のクリニックに漢方薬の専門家がいるとも思えない。

かといって、漢方薬局(あやしげ)にいきなり突入して「なんかこう、バシーッと効きそうなアレ、無いっすかね?」とか言える度胸もない。

第一、この症状に効く薬があるのかも分からない。

「早寝早起きが一番の薬ですよ、ハッハッハ」とか毒にも薬にもならん*1ことを言われるのが関の山だと思っていた。

そんなわけで、ここ数年は漢方薬に興味がありながらも、門を叩く勇気を持てずにいた。

ただツイッターでは中医学に詳しいっぽいアカウントをいくつかフォローしており、それらが繰り出す「薬にたよる前に早く寝ろ、早く起きろ、冷たいものや甘いものを食べるな」とかそういう養生*2プチ情報を眺めては「ですから、それができないから困ってるのであってだね...」って思ってはリムーブしたりを繰り返していた。

 

そんなある日、あるブログ記事がリツイートされているのが目に止まった。

 


これ、俺じゃねえか!!!

と思って親近感が湧いた。独身の私が既婚者に親近感が湧くなんておこがましいですけど。

さらに読み進めていくと、脾(消化器)と心が弱って脳が動かなくなる「心脾両虚」という言葉が出てきた。

確かに私はお腹が弱いけれども、あとこれでも日々うっすらとストレスを感じているけれども、それで本当に脳みその働きが鈍るのかね?甘えじゃなくて?

しかも、この症状はなんと漢方薬で改善できるという。

ナンダッテー!?!?

神!!!!神降臨!!!!!

 

気がつくと私は、自宅近くの漢方薬局を調べ、予約のメールを打っていた。

 

つ★づ★く

*1:いやまあ薬にはなるんだろうけど

*2:「養生とは、まず今の健康状態、生活のあり方を的確に判断することから始まって、その結果をふまえて、今より、そして来年は、より一層健康になるためにはどうしたらいいか、という方向性を示してくれる考え方です。」日本漢方養生学協会HPhttp://www.kampo-youjyougaku.jp/know/youjyou.php より。うん、まあ...分かるような分からないような

雨宮まみさん,大好きでした

大好きな人がこの世を去ってしまった。

ライターの雨宮まみさんだ。

あまりに突然のことで,今でもとても信じられない。

そのことを知ったのは,外国での用事を終え,最後の楽しみにとっておいた博物館めぐりをしているときだった。

休憩に立ち寄ったカフェで何気なくツイッタ―を見たら,TL上の友人がみんな嘆いたり絶句していたりして,何があったのかと思ったら,まさかの訃報だった。

 

雨宮さんが私にとってどれだけ大きな存在だったのか,いなくなって改めて思い知った。会ったこともない,文章でしか知らない人なのに。

女であること,歳をとること,自信がないこと,それでも欲望があること。

そのすべてをうまく受け入れられないでいた私を,そのままでいいんだよと包みこんだり,時にのろまな私のペースに合わせて一緒に走ってくれたり,「これでも飲みな!」とテキーラのショットグラスを突き出してくれたり,とにかく優しい言葉を書いてくださった人だった*1

優しさにも,知性にも,野心や欲望の描き方にも,クールなお顔にも,すべてに憧れていた。

誇張でもなんでもなく,彼女が同じ時代を生きて,私の先を走っていてくれるならば,女であることも歳を取ることも楽しいのかもしれないと,本気で思っていた*2

 

大和書房・WEB連載MOB〜40歳がくる! 雨宮 まみ vol01

 

彼女のいない世界で,私はどうやって歳をとっていけばいいのだろう。

どうやって自信がないまま,女であることを楽しめないまま,生きていけばいいのだろうか。

何か天変地異が起こるなりスーパーヒーローが死神と交渉するなりして,雨宮さんが11月17日にも生きている世界線に戻してほしい。

すべて過去形で書かなければならないことがつらい。

 

人ってこんなにあっけなく死ぬんだと思った。これからどんどん,そういうことが増えるのだろう。

訃報を知る直前,ちょうど私は死について考えていた。

博物館である展示を見たからだ。

それは,150年ほど前のお姫様が嫁ぐ時にそろえた嫁入り道具の展示だった。

「大事に育てられたお姫様が,たくさんの豪華な道具とともに幸せな結婚をしました」

というトーンの企画展示だったように思う。

展示の一番最後に,そのお姫様のその後の人生について,ごく簡単に紹介されていた。

 

16歳で結婚

18歳で第一子を出産。しかし子はすぐに死亡

23歳で夕食のビビンパをつまらせ死亡。妊娠中であったため手術でお腹の子どもを取りだしたが,こちらも助からなかった

 

え???ビビンパで死亡って...

こんなに大事に育てられ,鳴り物入りで嫁いで,そんな理由であっけなく死ぬの?

もしかしたら暗殺とかかもしれないけれど,どちらにしてもたった150年前はもっと簡単に人が死ぬ時代だったのだ。

というかそもそも,ここに展示してあるものを作った人,使った人はもう全員この世にいないんだ。

別に150年前じゃなくても,今日この博物館ですれ違った人も,明日生きているか分からない。

そしてたった100年後にはもう誰もいないんだ。

もちろん私も...。

 

そう思うと,何者かになろうとして足掻いたり,人間関係に悩んだり,自意識をこじらせていることがすべて無駄なように思える。

そもそもなんで生きてるんだっけ。少なくとも,私の両親が私に生まれてほしいと思ったから生まれたんだろうけども。

マジで,こういう何のために生まれて何のために生きるのか分からないまま終わるそんなのは嫌だ的なやつは10代のうちに済ませろよっていう話なんだけど,

大人の方が死に近いわけで,メメント・モリしたくなるときがあってもいいじゃないかとも思う。

 

しかし,そんなことを考えたところで悟りが開け,煩悩がなくなったりするかというと,残念ながらそう簡単に解脱できるわけでもない。

そして世をはかなんで死にたいわけでもない。

結局のところ,このまま雨宮さんのいなくなった世界で,自意識や欲望に身を焼かれながら,そしてそれらのすべてを空しく思いながら,順調にいってあと50年ほど生きるしかないのだろう。

まあ私のことはこのさいどうでもいい。

身の周りの大好きな人たちが,明日急にいなくなるかもしれないことの方が怖い。

そのときになって後悔しないように,千の夜を超えて好きな人には好きって伝えないとね...。

 

雨宮さん,大好きでした。

今までありがとうございました。

*1:もちろん私だけじゃなく,生きづらさを感じている人たちにとって,雨宮さんの書く文章は心のよりどころになっていたようだ。今回そのことを思い知った。

*2:改めて雨宮さんの連載記事を読むと,私が雨宮さんに影響を受けすぎていることに気づいて,自分にドン引いた。でも,あんな文章は私にはとても書けない

国際人願望と自意識のあいだ

1週間ほど出張で海外に来ている。

「出張で海外」とは、なんと甘美な響きだろうか。

私は10代の頃から、なぜか国際的な人間になりたくて仕方がなかった。

その理由は今となってはよく分からないし、大した理由もなかったんだろうと思う(多分かっこいいとか英語が好きだったとか、そんなありがちな感じ)。

将来は英語をペラペラしゃべって、スーツケースを引っ張って世界中を飛び回る、国際派のキャリアウーマンになるんだ!って思ってた。

で、ゆくゆくは長身の白人マイケル(仮名)*1と出会い、国際結婚をするのだと思っていた(私だけじゃなく、友達もなぜかそう思っていた)。

 

で、その結果がこれである。

幸い、回り道はあったものの、そんなに遠くはない着地点に立ってはいると思う(マイケルを除く)。

しかし、私は「国際人」として振舞うことがむしろつらい、ということに最近気がついてしまった。

 

海外で仕事をするためには、まず自分の意見を持ち、はっきりと表明すること、自分をオープンにすること、多様性を許容すること、などが求められる。もちろん語学力も。

多様性を許容するという点についてはクリアしていると思うが、問題はそれ以外だ。

堂々と言うことではないが、私は人見知りかつ自意識過剰である。

そういう人間が自分の意見をはっきりと言ったり、自分をオープンにすることができるのは、気心知れた仲間内だけである。

30数年間にわたって私の心を外敵から守ってきたA.T.フィールドは鉄壁だ。

さらにその壁には、自分の行動を監視し、録画再生することができる高性能カメラもついている。

よく知らない人の前で何かを話そうとすると「こんなこと言ったらバカだと思われる」「英語が下手なのがバレる」「何を言っても場違いな気がする」「この人、絶対私に興味ないだろうな」と無駄に脳みそをグルグルさせ、結局、最もやってはいけない「黙ってニコニコしながら心を閉ざす」という行動を取ってしまうのである。

そんな様子を繰り返し頭の中で再生しては「また何も言えなかった...」と凹んでいると、ボスが「こういう場で何も言わないとバカだと思われるよ〜」とニコニコしながら追い討ちをかけてくる。

何か言ったらバカだと思われる気がして黙っていたら、結局バカだと思われる。

地獄かよ。

 

この鉄壁の守りを自ら崩さないことには、私は真の国際人*2とやらにはなれないんだと思う。

バカっぽくても何でも意見を言って、自分のスタンスを示さなければならない。

語学力は多分それほど問題ではない。何か言えば、どんなに拙くても人は意外と聞いてくれるらしい。

自分が思うほど、人は自分のことを気にしてはいない。外国では特にそうだ。

そんなことは分かっている。分かっているけどできないのだ。

こんなことなら、日本国内に留まって、自意識にまみれながらなんとな〜くぬる〜く日々を送っていた方がよっぽど楽だ*3

 

 とはいえ、海外で最もストレスを与えてくるのは、海外で出会った日本人である。

もちろん海外で日本語を話せる安心感や同胞感から、日本で出会うよりも親密になったりすることもあるので、一概には言えないんだけども。

この日本人が私よりも長く当該地に居住し、さらにすでにグループが出来上がっているときが最悪だ。

持ち前の卑屈さと人見知りを炸裂させた結果、自分よりもその国の言葉を上手に話せる人の前で萎縮し*4、グループ内にうまく入り込むことができないから頼ることもできず、一人でいるよりも孤独感を感じることになるのだ。

 

逆に、一番早く打ち解けることができる気がするのは、その国の言葉を母国語としない人(他国からの留学生とか)である。

同じ言葉を学ぶ苦労を分かち合いながらも、最初から文化的背景が違うことを前提にして付き合うことになるので、ある種の諦めや好奇心が介在するのだと思う。

言語の運用能力が私と同じぐらいだと、さらに好ましい(ネイティブレベルだとやはり萎縮、そして萎縮である)。

彼/彼女らと話すと、まったく違う文化についての知識を得ることもできるし、母国語じゃない言葉でお互いの国の話をしてると、なんかこう、国際人になれたっぽい気もしてくる。

自分の中の「国際人」が薄っぺらすぎて泣けてくる。

 

きっと国際人とやらは、こんなことを考えないんだ。

奴らは「え?どこででも誰に対しても普通にコミュニケーション取れますけど?」ってあっけらかんとしているんだろう。

私はどこにいっても誰と話しても、結局どこまでも自意識が追いかけてきて、自分自身としか会話できていないのだった*5

誰か、この自意識をなんとかする方法を教えてくれないかなあ。

とか思いつつ、やっぱり国際人になりたくて、今日も必死に足掻くのであった。

*1:友人の間では大道芸人という設定だった

*2:とはいえ「国際人」ってそもそも何なのかね。このご時世、真の国内人ってあんまりいないよね

*3:自意識とは結局甘えにすぎないんじゃないか説。考えがまとまったらいつかこのテーマで書きたい

*4:日本人の前で外国語を話すときの気恥ずかしさは一体何なんだろう。つい相手のレベルと自分のレベルを比べてしまう

*5:実際には、何回か自意識から解放されたときもあった。これもまた別の機会に